陪審員制度は、人々が心から信じている制度の一つです。たとえやりたくなくても、その存在意義は理解しています。陪審員制度は、刑事司法制度における公平性を保つ上で重要な役割を果たす、良い制度だと考えているのです。客観的に見て、陪審員が誤った判断を下すことは少なくありませんが、それでも、見知らぬ人たちと部屋に集まり、何が真実で何が真実でないかを熟慮する、という機会は、私たちにとって良いことだと信じているのです。
しかし、仮に何らかの理由で1971年に陪審制度が廃止されたとしましょう。そして2026年、誰かが「陪審制度を復活させて、12人の無作為に選ばれた人に、あなたの子供が加重暴行罪で有罪か無罪かを決めてもらうのが本当に良いと思う」と言ったとします。市民社会における相互信頼がすっかり失われてしまったため、陪審制度を復活させることはまず不可能でしょう。人々が「私たちは代表制政府の下で暮らしている。もし私たちの大多数がこれを望まず、選出された議員にそう伝えれば、それは実現しない」という感覚を失っていることが、まさに懸念される点なのです。そして、自分の意思に反してそれが実現されることが繰り返し分かると、制度の仕組みに対する信頼は著しく低下してしまうのです。