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ロシアは18年、治安当局に暗号解読のための復号鍵を提供しなかったとして、テレグラムを禁止しようとした。ドゥロフは禁止に逆らうと断言。再びロシア政府との対立が浮上しそうに思えたが、何も起きなかった。禁止は20年に解除された。

その後の数年でテレグラムはロシアで何の制約もなく使われる数少ないSNSの一つになり、ロシア当局者の公式通信手段としても利用されている。

一部では、テレグラムがロシア政府に対して何の譲歩もなしに、これほど自由に活動できるのかという疑問も浮上しているが、ドゥロフは一貫して疑惑を否定している。

パリで拘束される前、ドゥロフはアゼルバイジャンにいた。ロシアのプーチン大統領は同じ時期にアゼルバイジャンを公式訪問している。大統領報道官によれば、2人は面会しなかった。

ドゥロフは公にはロシアに背を向けているが、ロシア政府はドゥロフが拘束されるとすぐ、ドゥロフ側の行動に出た。外務省報道官は、ドゥロフの法的トラブルを知ってパリのロシア大使館が「直ちに仕事に取りかかった」と述べている。