投稿者: | 2025年12月26日

敗戦後、文化国家を掲げた日本は米国との同盟体制の下で、欧米との関係を強化した。経済復興に邁進した末、世界第2の経済大国となり、西側先進国G7の一員となった。日本のアジアへの関心が特に大きくなったわけではないが、経済大国・日本を中心とした地域国家間の分業体制が形成された。いわゆる「雁行モデル」だ。雁が群れをなして飛ぶ姿は、上下が逆になったV字型だ。日本が先頭を飛び、その後ろを韓国・台湾・香港・シンガポールといったアジアの四龍が続いた。そのさらに後ろには、タイ・ベトナム・マレーシアなどASEAN(東南アジア諸国連合)諸国がいた。誰もが記憶している1970~80年代の東アジア地域の産業発展モデルだ。力を誇示できた過去とは性格が違ったが、日本はアジアの盟主としての地位をほぼ一世紀にわたり維持してきたといえる。

しかし1990年代以降、中国が国際分業体制に参加し、韓国や台湾などが一部の先端産業で日本に追いつき、あるいは追い越すようになると、雁行モデルは崩壊した。これは日本の自己アイデンティティの危機を意味した。同時に「失われた30年」といわれる苦難の時期も訪れた。

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