非西洋国家の中で唯一日本だけが近代化に成功したという日本人自身の自己認識は、アジアから自分たちを切り離し、第3の独自のアイデンティティを獲得しようとする動機を与えた。その最初の試みが、19世紀末に西洋史・東洋史・国史(のちに日本史へ変更)として出発した歴史三分科体制であり、これもまた日本の発明品だった。これによって、アジアの後進性を口にする日本自身がアジアの一部であるという根本的な矛盾から逃れることができた。
非西洋国家の中で唯一日本だけが近代化に成功したという日本人自身の自己認識は、アジアから自分たちを切り離し、第3の独自のアイデンティティを獲得しようとする動機を与えた。その最初の試みが、19世紀末に西洋史・東洋史・国史(のちに日本史へ変更)として出発した歴史三分科体制であり、これもまた日本の発明品だった。これによって、アジアの後進性を口にする日本自身がアジアの一部であるという根本的な矛盾から逃れることができた。