「自分は大政所の子供で、秀吉様の弟である」と名乗り出た人物が現れたといいます。大政所は秀吉のお母さんですね。
秀吉は男を捕まえて首を切ってしまった。
しかも秀吉は「どこかにまだ俺の弟や妹がいるのかもしれない」ということで調査を行った。その結果、尾張の中村、彼の故郷の近くに、どうも仲さんが産んだと思われる姉妹がいることを突き止めた。
しかしやっぱり、捕まって首を切られてしまいます。
武士のリーダーになるような人は、弟の存在をすごく警戒しています。
鎌倉の昔、源頼朝は義経(1159年〜1189年)や範頼(?〜1193年)といった自分の弟を殺しています。義経や範頼は異母弟でしたが、足利尊氏(1305年〜1358年)は同母弟の直義(1306年〜1352年)を殺害している。織田信長も弟の信勝を殺しているわけです。
徳川家康には父を同じくする弟がいませんでしたが、戦国大名で言えば、毛利元就(1497年〜1571年)や伊達政宗(1567年〜1636年)、大友宗麟(1530年〜1587年)が弟を殺しています。弟は大名にとって実は一番のライバルで一番邪魔な存在でもある。だから殺している大名は驚くほど多いのです。
弟と仲良くし、使いこなせるだけの器量を持っていたのは武田信玄(1521年〜1573年)と、兄弟の結束が強かった島津義久(1533年〜1611年)くらいでしょうか。
秀吉は弟の秀長は殺していませんが、甥にあたる豊臣秀次(1568年〜1595年)を殺しています。一度は後継者に定めた秀次ですが、本人だけではなく、彼の一族まで皆殺しにしてしまいました。この件については「実子の秀頼(1593年〜1615年)が生まれたために秀次が邪魔になった。秀頼の安全を考えて、秀次一族を皆殺しにしたのだろう」と見られています。