マルホランド・ドライブ(2001)—デヴィッド・リンチ監督

2025年は、熱心な映画ファンにとって辛い年となりました。デヴィッド・リンチがこの世を去っただけでなく、 『マルホランド・ドライブ』のクラブ・シレンシオの重要なシーンの中心人物、レベッカ・デル・リオもこの世を去ったのです。リンチの見事な演出とデル・リオの哀愁漂う歌声は、この映画で体現したもの、つまり幻想とパフォーマティビティの力です。私たちは、なぜか現実の生活よりも、作り物や空想に多くの意味を見出す傾向があります。『マルホランド・ドライブ』は、人間の心とハリウッドの丘陵地帯を織りなすタペストリーを通して、人生、芸術、そして夢に浸透する、自ら作り出す幻想を探求する、魅惑的な映画です。

多くの人がこの映画を細部まで分析し、若い頃は私もそうしていました。そうすることが間違っていると言っているわけではありませんが、歳を重ねるにつれて、深く掘り下げたいという欲求を手放し、ただただその体験を受け入れるようになりました。その理由の一つは、リンチが悪夢に突き動かされた複雑な芸術作品でありながら、「愛は勝つ」といった感情を信じる、シンプルな倫理観の持ち主でもあったからです。彼の芸術と哲学におけるこうした二項対立は、『マルホランド・ドライブ』のような映画にも共鳴しています。なぜなら、女優志望の女性が自滅していくというこの物語は、痛ましいものであると同時に、デヴィッド・リンチのようなアーティストだけが実現できる奇妙な安らぎも感じられるからです。この映画の夢の世界に存在しているのは、リンチがフロイト的な含意、成功への夢、失敗への恐怖、そしてハリウッドの腐敗した機構を観客に映し出す鏡として用いる、重層的な行為なのです。

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