ウクライナ語を話すときはウクライナ語で考え、ロシア語を話すときはロシア語で考えました。心の中で字幕を思い浮かべたり、「これは…でどう言うんだろう?」と考えたりすることはありませんでした。

翻訳には時間がかかります。ロシア語からウクライナ語(あるいはその逆)に頭の中で変換するために一文ごとに間を置かなければならないとしたら、笑われるか、置いていかれるかのどちらかです。(あるいはその両方です。)

私は言語を変換すべきシステムとして捉えるのをやめ、モードとして扱うようになりました。言語は私の脳内にそれぞれ異なる部屋を持ち、それぞれに独自の装飾、家具、そして感情的な温度感がありました。

今では多言語話者になった今でも、そのアプローチを続けています。「Xをイタリア語でどう言うか?」と考えるのではなく、「イタリア人ならここで何と言うだろうか?」と考えます。

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