投稿者: | 2026年4月1日

なんで2発目が落とされる前に降伏しなかったのかってことなら、それは、爆撃の間隔が短すぎて、降伏するチャンスすらなかったからだよ。要はこんな感じ。

・1発目の爆弾は、1945年8月6日の朝に広島に落とされた。これで広島との通信が途絶えたんだけど、東京は、何か大規模な爆撃があったことは知ってたけど、それがどんなものなのかはっきりとは分からなかった。

・これから16時間後(つまり8月6日/7日のすごく遅い時間、日本時間)に、アメリカは、その攻撃が原子爆弾によるものだったという声明を発表した。

・8月7日、日本の最高司令部はそれについて話し合ったけど、本当に原子爆弾による攻撃なのか、それとも何かのプロパガンダなのかを確認するまで、大きな決断は保留することにした。(国家主権を放棄するかもしれないような重大なことだし、特に、すべての陣営がプロパガンダと誤報を多用していた戦争中だったから、これは完全に理にかなっている。)

・戦時中の混乱で、それが原子爆弾であることを確認できる科学者たちは、8月8日の早い時間まで東京と京都から広島へ行くことができなかった。

・8月8日の遅くに、科学者たちは東京に、原子爆弾であることを確認するための検査を行ったと伝えた。その夜、ソ連は日本に宣戦布告した。

・8月9日の朝、日本の最高司令部は、原子爆弾とソ連の宣戦布告について話し合った。会議中に、長崎が爆撃されたというニュースが届いた。

アメリカが、日本が広島の爆撃を処理し、確認し、対応するのに、2日足らず(アメリカが原子爆弾だと主張した瞬間から数えると、これは8月6日の朝よりもずっと後だったけど)で、それを期待できたはずがないんだよね。元々のアメリカの計画では、2回の爆撃の間には1週間空ける予定だったんだけど、実際のスケジュールは、政治的/戦略的な状況ではなく、天候によって決まったんだ。アメリカも、日本が広島の後すぐに降伏するとは思っていなかった。だから、次の爆弾が使われる前に降伏させるという「試み」も「目標」もなかったんだよ。

ちなみに、日本は8月10日に降伏の申し出をしたんだけど、それは条件付きの降伏だった(そして、その結果、アメリカに拒否された)。無条件降伏を受け入れたのは8月14日。これは、広島、長崎、ソ連の宣戦布告の後でさえ、すぐに完全な降伏を申し出なかったってことを強調するために言っておくね。

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