安倉高塚古墳(兵庫県宝塚市)の石室から出土した銅鏡。その鏡に「赤烏七年(244)」という呉の年号を示す銘がある。

 卑弥呼が魏に遣使したのは魏の「景初3年」(239)で、ほぼ同時代。孫権の存命中でもあり、やはり呉も倭に存在した国々のどこか(邪馬台国ではない)と接触していたのかもしれない。

 魏は、司馬一族の晋(西晋)にとって代わられ、西暦265年に滅びた。曹操の子・曹丕から5代、45年の短命国家だった。呉も孫権没後28年の280年に西晋に滅ぼされた。その西晋も313年に滅亡、邪馬台国も歴史書から姿を消す。

(三国志【呉の皇帝】孫権は、卑弥呼がいる日本(倭国)を攻めようとしていた!?(歴史人) – Yahoo!ニュースから)

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