例えば、私は作曲ができますけど、私よりもっとできる人は沢山います。でも私にしか来ないお仕事があるんですよ。なぜかっていうと私は声優でもあり作曲家でもあって、この掛け算をしたときに、声優で作編曲までできる人は誰だっていうとなかなかいないからなんです。オリンピックの金メダルを目指すより、自分だけの競技を作った方が活躍できますよね。そんなイメージです。自分だけの競技を作ろうと思ったら、「遠いもの」を掛け合わせた方が強いです。例えば、DJ×作曲だと競技人口が多くて、自分だけの競技じゃないんですよね。
引用ジャングルは同名のTumblrページからインポートしています
最新の知見を知るサイト
-
-
最初の頃はとにかくいっぱい練習したんですけど、経験を得ていくと逆なんだなって思いました。練習しすぎると、自分の中で演技が固まっちゃうんですよね。せっかく周りの皆さんと一緒にアフレコしたりするのにキャッチボールにならないなと。なので、練習しすぎないように、現場現場でその世界にいるそのキャラクターとしてのロールプレイを皆さんと楽しむようにしています。本当にその世界で普通に生きるって感じです。それができたときは、やっぱりいい感じの音声が取れている気がします。
-
僕がこれまで手掛けてきた女の子たちが主役の音楽モノって、学校の中の話なので卒業すると終わっちゃう話ばかりだったんです。ただ、 人生は卒業式で全て終わりじゃないですよね。そう思った時に、なんとなく自分の宿題として、「卒業式の先」を書かなければという気持ちがあった。
本作はそれにちょっと手がついた気がするんです。「卒業の先」というのは、つまり社会と立ち向かうということですね。何にも守られていない自分だけで、社会と向き合わなきゃいけない瞬間が来るわけで、そこを盛り込むことで、自分としては一歩新しいところに踏み出せたなと思います。
-
ここで武道館満員にしてダイダスに勝ったら「ラブライブ」になっちゃいますから、ハッピーエンドは最初から全く頭になかったですね。
-
家族の話が描かれている第10話「ワンダーフォーゲル」に関しては、実は監督の要望で当初のシナリオから大きく変更しています。僕のシナリオでは、襖越しに会話の後は父親は見送りに来なくて、玄関先の折った枝に新しいアパートの鍵がかけてあるというラストでした。第4話「感謝(驚)」もそうなんですが、僕個人としては最終的に分かりあって、めでたしという方向にするつもりはなかったんですね。
ある程度のところまで書いたら、余白を持たせておこうと。仁菜と父親の関係も分かり合えないままの部分はあるけれども、お互いこの先前に進むしかないという形にしたかった。でも、実際にお子さんがいる監督として、同じ父親の目線に立ったら、やっぱりしっかり送り出したかったんだろうなと思いますね。
-
やっぱり演技そのものに関して言えば、それは当然プロで経験積んでいる声優さんの方が上だとは思います。でも、キャラクターに対する魂の入り方、これについては尋常じゃない熱を感じていて、エピソードが積み重なるに従って加速度的に良くなっていく。これは、アフレコと並行してリアルのバンド活動も進んでいく中で、アニメの中の「トゲトゲ」と気持ちがリンクする部分があったのではと思います。
-
お笑い芸人・「サンドウィッチマン」の富澤さんが、相方の伊達さんを誘って10年売れなかった時に「死んで詫びるしかない」っていう心境だったという話がありますが、「ダイダス」の時の桃香はそれです。 その責任感の重さも、バンドが続かなかった要因ではと思いますね。
-
僕の中で5人で掛け合いをやっているときは、家族のイメージで描いてるんです。桃香がお父さんで、ルパがお母さん。長女がすばるで、長男が仁菜、次女が智ですね。だから、なんとなくお父さんと長男がいつも喧嘩しているところを、残りの女子3人が見ていて、長女のすばるが仲裁に入るっていう。
-
自分の負っている傷みたいなものを他人と共感したいとか、他人に理解して欲しいとはあんまり思ってないんです。そもそも、自分も他人の傷を理解できるわけでもないし、したいとも思わない。傷の舐めあいをしたくないっていう思いが強いタイプで、それがある意味で、現実の厳しさを知っている大人な部分でもあるんです。
-
アニメを作るときに、状況を先に作っておいて主人公を置くだけですと、主人公が状況に振り回されているだけの作品になってしまいます。
主人公とは、置かれた状況は状況として、それとは別に自分の意志を持つ者です。自分の意志で状況を作っていって、周りに影響を与えていく。それが大事だと僕は思っています。