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  • モジュラー・シンセサイザーのテクノロジーはとてもミステリアスで、人間との間の摩擦を減らすどころか、むしろ抵抗してくるような感触がある。私はいつも「こうやって動いて」と思って操作するけど、大抵は思ったように動いてくれないから、別の方法を探さなければならなくなる。これは機械と格闘しているような感じだけど、同時にとても刺激的で儀式的な練習になる。

  • 正直言って、現代社会における人間とテクノロジーの関係性に関して創造的だと言えるものは少ないと思う。多くのテクノロジーは、人間のアイデアや欲望を効率良く実現することに最適化されていて、プロセスにおいてどれだけ摩擦を減らすかということが焦点となっている。個人的にはこのアプローチに対して創造性を感じることはない。私にとって、テクノロジーを使って仕事をするということは、機械と対話することであり、機械そのものからインスピレーションを得ることで、アイデアをそのまま具体化するようなことは期待していない。

  • 天ぷらは揚げる食材によって適切な温度が異なります。

    野菜類 → 170度

    魚介類 → 180度

    が目安です。最近では、温度計付きの揚げ物鍋も販売されており、これを使えば簡単に温度管理ができます。ただ、温度計がない場合でも、衣を少量油に落とすことで簡単に温度を確認できます。

    ・150〜160度(低温)
    → 衣が底まで沈んで、ゆっくり浮き上がってくる。

    ・170〜180度(中温・野菜向き)
    → 衣が途中まで沈んで、徐々に浮き上がってくる。

    ・180〜190度(高温・魚介類向き)
    → 衣がすぐに浮き上がってくる。

  • 南ヨーロッパはより保守的でカトリック色が強いからオルガンを利用するのが難しいけど、他のプロテスタントの地域では教会で世俗的な音楽を演奏することを受け入れてくれる場合が多い。

  • 私たちの現在の音楽のパラダイムは、12平均律という文化的ヘゲモニーの下にあって、ハーモニー表現のパレットはとても限られている。

    ハーモニーの標準化は人びとの音楽に対する認識にも大きな影響を与えている。例えば、完全四度音は「美しく調和的」、三度音は「不気味で極悪非道」とか、音程に対しては様々な文化的固定観念があるけど、これは標準化によって植え付けられた非常に還元的で単純化された認識のあり方。

    少し聴いてみただけで、ああ、これは悲しい歌なんだなとか、楽しい歌なんだなと分かってしまうような音楽を自分がやりたいとは思わない。むしろ私は楽しいコードなのか悲しいコードなのかがまったく分からないような曖昧で複雑な音楽を好む。何回も繰り返し聞くことによって、理解がまったく変わってしまうような音楽ね。例えば、最初に聞いた時は、悲しかったり、不気味な感じがするんだけど、10回くらい聞いてみると、突然、恍惚として幸せな気分になったりするように。

  • 1994年、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイヴィトン)の会長兼CEOのベルナール・アルノー氏と契約を結びます。

     数シーズン、LVMHが所有するジバンシーでコレクション(クチュールとプレタポルテ)を発表した後ディオールのデザイナーに抜擢されます。ディオールはLVMHグループの中で最も大切にされている老舗ブランドで、まさにラグジュアリーブランドの頂点と言える存在です。そのビジネス規模はジバンシーの数十倍。

  • 「倭」という文字は「委ね従う」とか「柔順なさま」という意味をもつ漢字で、中国人が古代日本人の様子や姿恰好や行動からあてがった暫定的な当て字ですが、渋々というより、まだ漢字の意味を十全に理解していなかったわが祖先たちは、自国を「倭」と称します。

    「倭」を日本側(朝廷)は「ヤマト」と読むことにした。8世紀の天平年間のころには「和」の文字が定着し、そのうち日本国のことを「大和」「日本」「大倭」などと綴るようになったのです。

    どうしてヤマトという呼称が広まったかといえば、初期の王権の本拠が奈良盆地の大和の地にあったからで、やがてそれが畿内一帯に広がり、さらには日本国の呼称を代行するようになったからだと思われます。ヤマトを地理的に一番狭くとれば、大和は三輪山周辺のことをさします。

    語源的にいえば、もともとヤマトは「山の門」です。奈良盆地から大阪側を見ると連綿と続く笠置山・二上山・葛城山・金剛山と続く山々を眺めていた大和人たちが、自分たちの土地を「山の門」と言いあらわしたのでしょう。ここに大和政権が誕生し、飛鳥・藤原・奈良時代がくりひろげられた。それで国の名をヤマトにした。そういう経緯だったのだと思います。

    奈良時代の次は平安時代ですが、そこは今度は山城国と称ばれました。ヤマシロとは「山の背」(やまのせ・やまのしろ)のことです。平安京からすると、あの奈良の山々が背になったのです。山城国は山背国であったわけです。

  • 中国の歴史書の『後漢書』倭伝、『魏志』倭人伝、『隋書』倭国伝などが、日本のことを「倭」と、日本人を「倭人」と示したので、それに従っていたのです。「倭の五王」のように中国の皇帝から将軍名をもらっていた時期もありました。

    当時の倭国は、朝鮮半島の百済や半島南端の加羅(加耶)諸国と軍事的にも交易的にもアライアンスを結んでいて、独立国家というほどではなかったのだろうと思います。それが百済に軍事的支援を頼まれ、倭国は663年の白村江の海戦に臨むのですが、そこで新羅と唐の連合軍に完敗してしまった。

    斉明天皇から天智天皇にバトンタッチがされた時期でした。このときに「日本」という国名がほぼ決まっていったと思われます。『三国史記』新羅本紀には「670年に倭国が国号を日本に改めた」と記されていた。

    律令としてこうした表記が制度化されたのは701年の大宝律令でのことでした。だから制度史的には「日本」という国号は701年に成立したのです。

  • 少子化対策として4人以上の子供を持つ母親の所得税を生涯免除しているハンガリーが、対象を2人以上に拡大する。

  • 手動操縦の訓練を受けたものの、その後のキャリアの大半を高度自動化飛行 (離陸、巡航、着陸の大部分を自動操縦) で過ごしたパイロットの手動操縦スキルをテストしました。計器のスキャンや手動制御などの手順スキルは「錆び付いて」いましたが、ほぼそのままでした。対照的に、飛行機の位置を認識し続けること、次のステップを追跡すること、ルートに沿って計画された変更を行うこと、計器システムの故障を認識して処理することなど、認知スキルの大幅な低下が見られました。