AIをロボット工学に適用するにはふたつの主要なアプローチがある。
そのひとつがハイブリッドアプローチだ。システムのさまざまなパーツがAIによって動き、従来型のプログラミングによってひとつにまとめられている。このアプローチを導入した視覚サブシステムは、目に見える世界をAIを利用して認識・分類するだろう。視覚サブシステムが見える物体のリストを作成し、ロボットプログラムはリストを受け取り、コードに実装されたヒューリスティック[先入観や経験に基づいて、ある程度正解に近い答えを導き出す思考法]を用いてそれに基づいた行動をする。リンゴをテーブルから取るためのプログラムが書かれると、AI視覚システムによりリンゴが検知され、プログラムはリストの「タイプ:リンゴ」に該当するものを見分け、従来型のロボット制御ソフトを使って手を伸ばし、それを取る。
もうひとつのアプローチであるエンドツーエンド学習(e2e)は、「ある物体を取る」などのタスク全体、あるいは「テーブルを片づける」のようなより範囲の広い動作を学習するための手法だ。学習は、ロボットを膨大な量の訓練データにさらすことで生じる。人間が身体を使うタスクのやり方を学ぶときとほぼ同じである。幼い子どもにカップを手に取らせようとする場合、年齢にもよるが、子どもはまずカップとは何かを学び、さらには液体が入っているかもしれないカップで遊んでいたら、ひっくり返したり大量のミルクをこぼしたりすることがあると繰り返し学習しなければならない。だが、人がやっているところを見て、それを真似し、遊びながら何度も練習するうちに、子どもはやり方を身につけ、最後には手順を考える必要さえなくなる。
わたしはやがて、ラリーはあのとき、結局はエンドツーエンドタスクを実行する方法をロボットが学習できることを実証しない限り、どうにもならないと言っていたのだと思うようになった。それができて初めて、ムーンショットと呼ばれるにふさわしく、乱雑で予測不可能な現実世界で確実にタスクをこなすロボットの製造に本当に挑戦できるのだろう。
引用ジャングルは同名のTumblrページからインポートしています
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わたしは毎週のように母と電話で話をした。開口一番、母は決まってこう言った。「ロボットはいつできるの?」どうかすると、「もしもし」さえ言わないこともあった。母は、生活の手助けをするグーグルのロボットがいつ完成するかをとにかく知りたがっていた。「しばらくかかりそうだよ、ママ」と答えると、母は「早くできればいいのに!」と返すのだった。
母はいまや手に負えない厄介な障壁と化した無数の細々としたことをサポートできる、時にはただ腕に寄りかかれるロボットを心待ちにしていたのだ。
母の生活を手助けするロボットは現れなかった。母は2021年初めに亡くなったのだ。
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最大の賭け──AIによって動くロボット──に本気で投資するかどうかの大きな転換点にあったのだ。AIはロボットに聞いたこと(話し言葉と書き言葉)を理解しそれを行動に変換する能力、あるいは見たもの(カメラ画像)を理解してそれを場面や物体に変換し、それに基づいて行動する能力を与えつつあった。そしてロボットは物体を掴むことを学習していた。
プロジェクト開始から7年以上がすぎ、ロボットはグーグルの複数の社屋全体に配置されるようになっていた。1種類のロボットが、カフェテリアのテーブルを自律的に拭く、会議室を点検する、ゴミを分別するなど幅広いタスクをこなしていた。
OpenAIがChatGPTを発表して2カ月後の23年1月、全般的なコストの問題を理由にグーグルはEveryday Robotsを閉鎖した。多額のコストと長い時間をかけた事業が終わることに、関係者全員が衝撃を受けた。
現実世界でAIに身体を与えることは、国の安全保障の問題であり、極めて大きな経済機会でもある。グーグルのようなテクノロジー企業が未来の労働力を補完するAI搭載ロボットなどの「ムーンショット」事業に投資できないなら、誰がするのだろう?
シリコンバレーやその他のスタートアップエコシステムは、ロボット開発に本気で取り組むだろうか? 仮にそうだとして、そうしたプロジェクトに忍耐強い長期資本を調達できるだろうか? そうは思えない。
米国はAIの分野では先行しているが、その物理的表現、すなわちロボットの製造にはスキルとインフラが必要で、最も傑出した中国をはじめとする他の国々がすでに先を行っている。
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1970年には、世界の64歳以上ひとりに対し労働年齢人口は10人だった。2050年までに、それは4人以下になるだろう。働く人の数が足りなくなるのだ。誰が高齢者の介護をするのか? 誰が工場や病院やレストランで働くのか? 誰がトラックやタクシーを運転するのか? 日本、中国、韓国などの国はこれが差し迫った問題であることを理解している。よって、ロボットは選択肢のひとつではない。それらの国々は、ロボティクス技術への投資を国家的急務にしている。
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ロボットは人間の姿であるべきか?馬は実に効率よく4本の脚で歩き、走る。だが、わたしたちは自動車に車輪をつけた。人間の脳は信じがたいほどに効率のよい生物学的コンピューターだ。だがチップが実装されたコンピューターの性能はわたしたちの脳の能力には及ばない。なぜクルマには脚がないのか、なぜコンピューターは人間の生物学をモデルにしなかったのか?
「わたしが二本脚で立つことができれば、ロボットにもできるはずだ」。ヴィンセントは車いすに乗っていた。部屋は静まりかえった。議論は終わった。
実のところ、ロボットの脚は機械的にも電子的にもとても複雑だ。それほど速くは動かないし、ロボットの体勢も不安定にさせがちだ。車輪に比べれば電力効率もよくない。最近、人間の形や機能をそっくり真似たヒューマノイドロボットの製造を目指す企業を見ると、それは想像力の失敗ではないだろうかと思う。
ヴィンセントの言葉は、最も難しく、最も影響力の大きい問題に最初に注力する必要があることを思い出させてくれた。
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(Animemesから)
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「花は隣の花と競争しようとは考えず、ただ咲くだけである」
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アルバート・アインシュタインはかつてこう言いました。
「簡単に説明できないなら、十分に理解していないということだ」
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ある日、目覚めたら、AI が一夜にして世界に革命を起こしていたと想像してみてください。非現実的に思えますか? 想像するよりずっと近いのです。
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OpenAI への巨額投資で中心的な役割を果たしてきた Microsoft の CEO AI サティア ナデラに起こったことだ。ナデラは、AI 企業が影響を恐れることなく著作権で保護されたデータでモデルをトレーニングできるように、著作権法を変更する必要があると公に述べた。