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  • 鬼頭:私、地声が低いんですけど、駆け出しの頃はこの低い地声でお芝居をすることにすごく苦手意識があったんです。というのも、じつは声優になった理由の一つが、地声の低さがイヤで高い声を出せるようになりたかったから。鈴音のような低い声で演じることに、最初は大きな抵抗感がありました。

    ただ、『よう実』を通して鈴音を演じているときに、意外にも周りに「鬼頭さん、地声いいよ」と言ってくれる共演者さんやスタッフさんの方が多くて、この作品をきっかけに割と低い声の役を任せていただく機会も増えたんです。

  • 鈴音はわりと語気が強くてハキハキしゃべる役で、最初の頃は「どうしても早口になってしまう」というクセから抜け出せず、いつもボールド(セリフに割り当てられた尺)が余ってしまい、けっこう苦労しました。

  • ありがたいことに宮野さんが毎回、「このセリフ、この文節は何が一番伝えたいかというと、この“〇〇”だよね」とか、「ってことはこのセリフにかかってくるのは、このセリフのこの言葉だから、ここは立てて言ったほうがいいよね」とか、ていねいに教えてくださったんです。もう、本当国語の授業を教えてくれる家庭教師みたいな感じ(笑)。

  • 幸せって自分が好きなことばかりを選んで摂取し続けていればいい、というものじゃないじゃないですか。そればっかりやってたら、飽きちゃうかもしれないし、楽しいと思えなくなってくるかもしれない。

    それに、ときには「こっちのほうがつらいかも」というほうを選択したほうが、後々になって幸せを実感することもあると思うんです。「楽しい」が自分の逃げ道になってしまうというか。

    途中、「平坦よりも凸凹でいいよ」という歌詞があるんですけど、たぶん、幸せになるために必要なつらさがあるし、幸せを感じるためには、凸凹なのもまたいいのかなって。

  • 鬼頭:アフレコでいうと、やっぱり緒方さんとの共演が、私の声優人生に大きく影響を与えていただいたと思っています。それまで私は、マンガを読んでいて頭の中でイメージする声を再現するという意識で、アニメのアフレコにのぞんでいたんです。

    でも、緒方さんは現場での共演者のお芝居だったり、相手との感情だったりをすごく大事にしている役者さんで。その緒方さんから、第1期が録り終わったあとの飲み会で「君はこのままだと行き詰まるかもしれないな」と言われたんです。

    で、私が「なんでですか?」って聞いたら「録り直しでもう1回やるときに、私がお芝居をどれだけ変えても同じものが返ってくるんだよね」と。

    言われてみると、私、確かに相手のセリフを聞けていなかったんですよね。私の中で「寧々はこう喋るもの。こういう感情で喋るんだ」と考えて、私と寧々という「個」でお芝居をしていた。でも掛け合いって本来、相手のセリフを聞いて、それに対して返すことで出来上がる「和」でお芝居をするものなんですよね。そのことに、緒方さんの言葉で気づきました。それ以来、相手の感情やお芝居が変わるなら私のお芝居も変わるはずだと意識するようになり、相手のセリフを聴いて、その反応としてセリフを喋るようになりました。

    それまではアフレコ前の台本チェックも「ここの台詞はこういう感情」「話の流れとして、ここはこういう言い方」というのを家で決めてから練習していたんです。

    でも、それをしすぎると演技が決め打ちになってしまうので、その準備は最低限でいいのかなと思うようになって、逆に練習量は減らしていきました。ただ、現場では相手のセリフに対してとっさに感情をのせて反応してお芝居をしなければいけないので、その変わりキャラクターの感情や性格のほうを、より考えて自分の中に入れるようにして。

    すごくやりやすくなって、音響監督さんのディレクションに対しても、現場でより柔軟に変えることができるようになりました。家でお芝居を決めてくると、「自分の中ではこう」という固定観念がなかなか消せず、現場のディレクションにもあんまり応じられないことがあったので。

  • 悠木:通常の演技より自分の想像以上にオーバーにやらないとアニメの絵には合わないんだな、というのはやればやるほど感じています。

    キャラクター同士の立ち位置からくる声の距離感や、絵だけでは拾いきれない動作にはアドリブで音を入れることで、より立体的にしていったりとか。そういう細かな要素が全部合わさって、一つの作品や世界が立ち上がっていくのは感じは、ドラマなどよりもより強いんじゃないかなという感じはしています。

    あとは体を使ったお芝居だと、仕草や目線の動きも使ってその人物の感情や空気感を表現できるんですが、私たちはそれを音だけでやらなければいけない。その制限、不自由さが逆に声のお芝居の面白いポイントだとも思います。

    ちょっと想像しづらいかもしれないんですけど、声だけでも目線の動きって表現できたりするんですよ。

    例えば、はっきりとまっすぐ相手に届けるような声をだせば、それは相手の目を見ながら話ているように聞こえるし、少し奥に引っ込めるような声をだせば、「あ、いま目をそらしたな」というのが、声だけでも十分伝わるんですね。

  • ある収録で、猫猫が壬氏さまにツッコミを入れる場面があったときに、どうやら私がちょっと優しい声を出してしまったらしく。

    そうしたらディレクションで「もっと冷たく!呆れてください!」って言われて、ちょっとだけ情が湧いちゃったのを反省したことがありました。

  • 極め付けは壬氏さまとの関係。猫猫の気持ちが一向に壬氏さまに向いてこないじゃないですか。それは、演じている身としても「どうやって表現しようかなぁ」と考えるポイントではあるんですけど、ふと「飼い主と猫の関係だ!」というのが、私の中ではしっくりきたんですよね。

    壬氏さまは猫猫からするとエサをくれる飼い主で、へこんでるときだけは、撫でさせてあげたり。そんな関係性が微笑ましくも、飼い主と猫っぽいなと感じています。

  • 悠木:私が仲良いのは声優の早見(沙織)ちゃんと(寿)美菜子ちゃんなんですけど、美菜子の家に集まって、みんなでボードゲームしたりとか、鍋をつっつき合ったりとか。お酒も飲まずに小学生の遊びみたいなことばかりしているんですけど、毎回、腹筋が筋肉痛になるくらい爆笑してます(笑)。

    元々、同世代でみんな頑張ってきたから、悩んでいることとか人生のフェーズの足並みがみんな揃っていたんです。それぞれが持ち寄る話に「めっちゃわかる〜!」とか言いながら、忌憚なく意見を言い合って、語り合える相手というか。

    最近はそれぞれルートが分岐してきて、目指す先が少しずつ明確になってきた。それでも隣で並んで走っている感じが安心するし、すごくありがたい存在だなって思います。

  • ご縁があったキャラクターの、“最善の姿”を常に届けられる役者でいたいな、と思っています。

    そのためには、自分の中で何か一つの正解を持っているほうがいいんじゃなくて、「迷うこと」が大事。作品の世界観、表現したいこと、キャラクターの人物像、自分の環境、周囲の人々……作品を構成するすべての要素が毎回違いますし、状況が変わればそこですべきお芝居も毎回変わるはずです。

    その中で私が持っておくべき答えは、絶対に一つじゃない。迷い続けるからこそ、その時々でいちばんいい答えが見えてくると思います。