Microsoftはまた私を驚かせました。ソフトウェアアカウントの新しい利用規約に同意するまで、Excelファイルを保存できないというのです。
なんと、AI がすべての Microsoft ソフトウェアにバンドルされているのです。
さらに悪いことに、Microsoftは最近、 AIの追加特典をカバーするためにサブスクリプション料金を月額3ドル値上げしました。この特典により、私はAIコンパニオンを月に60回利用できることになりました。
でも、使いたくないんです。殺したいんです。
ご覧の通り、私はこのサービスを一度も使ったことがありません。60クレジットもまだ未使用です。でも、Microsoft WordやExcelなどに埋め込まれているので、料金を支払っています。
AIはこうやって市場に導入される――大衆に押し付けることによって。そして、それにはちゃんとした理由がある。
最近の調査によると、AIに自発的にお金を払う人はわずか8%で、ほとんどの人はそうではありません。そのため、AIを他の必須製品と組み合わせる必要があります。
あなたには決して決める権利はありません。
話を進める前に、簡単な質問をさせてください。社会に貢献した大きなイノベーションがあったのに、国民のわずか 8% しかその費用を負担しなかったという例がこれまでにありましたか?
人類史上、かつてそんなことは起こりませんでした。誰もが家に電気が欲しいと思っていました。誰もがラジオが欲しいと思っていました。誰もが電話が欲しいと思っていました。誰もが冷蔵庫が欲しいと思っていました。誰もがテレビが欲しいと思っていました。誰もがインターネットが欲しいと思っていました。
彼らはそれを欲しがり、お金を払って、楽しんでいたのです。
AIはそうではありません。人々はAIを信用せず、嫌悪さえしています。そして、それは月を追うごとにさらに強まっています。そのため、AIの提供者はAIを既存のサービスに組み込み、その形での利用を強制する必要があるのです。
引用ジャングルは同名のTumblrページからインポートしています
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「でもやっぱりヒデが入ってきて、あいつ20歳だったもんね。いちばん年下くらいで入ってきて、そしたらもう誰にも敬語使わないっていうか、試合中は。『イハラ!』とか『カズ!』とか。あれ見て、なんか変わったかな」
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「僕が勤めたレストランで、めちゃくちゃ繁盛店があって。そこがめちゃくちゃドレッシングがおいしかった。県外から買いに来るんですよ。ドレッシングだけですよ」
「新人で仕込むんですけど、味の素めっちゃ入ってた。お客さんたちは『これ何かな? アンチョビーかな?』『いや、絶対なんかだし入ってるよね?』『絶対企業秘密だよね』とか。僕はレシピ見て、味の素が異常に使われてて。とんでもないところに来ちゃったと」
「使わないとか、エゴだなと思った。自分の料理とか『俺は味の素使わなくてもうまい料理ができる』っていう。『自分は腕があるんだ』っていうのを、誇示したいんじゃないかと。僕自身がね。それって、人においしいものを食べさせるところに帰着してないなと思う。人においしいものを食べさせるのが、真の目的であれば、別に味の素を使っても使わなくてもいい。でも頑なに『味の素は使わない。偽物だ』と思ってて。この気持ちこそが偽物だと思った。うまいもので喜ばせるのが目的だから」
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──最後に、脚本家を目指している人に何かアドバイスはありますか。
花田 なんだろう……。締め切りを守るのと、連絡はちゃんとしましょうということでしょうか。僕が見てきた中で、信頼を失う人のほとんどはそのどちらかができない人。
あとは単純に、脚本家は一人で行うフリーランスな仕事です。フリーランスの仕事ってどういうことかというと、自分で自分をセルフプロデュースするってことなんですよ。だから、自分の欠点が見えなくなるほど自分を愛してもダメだし、自分の長所が見えなくなるほど自分を突き放してもダメ。そもそも自分に興味のない人はもっとダメ。そのバランスを取った上で、さて、そんな自分を他よりよく見せるには、どこをアピールしましょう。どう行動すれば、長所が活かせるでしょう。あなたという商品の売りはなんですか。と全部自分で自分を分析して考え、行動する必要があると思うんです。
シナリオを沢山勉強して、良いシナリオを書ける方にも大勢会いましたけど、その視点がない故に、何でもできる便利屋で満足して、便利屋として消費されて消えていくという人が実は少なくありません。生き残っている人は、大抵「あの人はこういう話書かせたらピカイチだよね」とか、「あの人はこういう監督と一緒にやるとすごい力発揮するよね」とか、一言で言える特徴を持っている人がほとんど。なので、もう少し鏡の中の自分と話す機会を増やすといいかもしれません。
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──花田さんは長く第一線で活躍されてきた中で、脚本を書くことに対して手応えを感じられたことというのはありましたか。
花田 感覚は全く無いです。下手くそなのによく仕事をくれるなとずーっと思って毎回書いています。シナリオライターってよく考えると不思議な仕事なんですよね。だって、(原作物の場合)原作があってそれをシナリオにしてくれという仕事は、実はありそうであって意外とない。そういう意味では、自分の中にないものをインプットしてアウトプットするということができる仕事でもあるんです。そこで原作という外から入ってくる作家性とか価値観というのはすごくためになるし、自分をリフレッシュさせてもくれる。なるほど、こういうやり方もあるのかと。また、自分が納得できない展開でも、アニメ化されるほどの原作なんだからそこにはきっと何かあるんだろう、それは何だろうと探るようなことも多いですし。それができるのはこの仕事のメリットだと思っています。
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──『宇宙よりも遠い場所』のお話でもう一つ伺いたいのですが、お母さんが写したオーロラの写真を見る場面で、報瀬が最初にPCを見たタイミングではなく、日本に帰ってから送られてくる形にされていますよね。そこは何か意図があったのですか。
花田 それはちょっと意地悪をしたというか(笑)。まあ、そんなことはないのですが、そのまま(南極の基地で)見てしまうと当たり前の展開になってしまうかなという意識が働いたのかもしれません。それが大きいかなぁ。
それより、あのシーンを書いた時も思ったし、『ラブライブ!スーパースター!!』(2021)を書いていても思うんですけど、今の人にとってはもはやコミュニケーションツールが会話ではなくてスマホなんですよね。そこは実はすごく考えさせられます。多分、演出家さんも同じだと思いますが、文字を画面に出さざるを得ない場面は、果たしてそれでいいのかということは皆さん考えているのではないでしょうか。
確かにスマホの画面を字幕で出して読ませればいいという意見も分かるのですが、でもそれって映像作品なのか。台詞なのか。という気がしてしまう。それにやっぱり皆さん声優さんの声も聴きたいよねということにもなってきますし。そういうところは非常に悩んでいます。これは日本だけではなく、海外の作品でも問題になっているのではないでしょうか。さっき話に出た『シャーロック』なんかもスマホの文字をどうスタイリッシュに出すかというところですごく模索しているのが分かるし、逆に映画の『クレイジー・リッチ!』(2018、米)のSNSで拡散している様を視覚的に見せる演出なんて、「なるほどこんなこともできるのか」と感動したりもしました。そこは多分、映像をやっている人はみんなこれから開拓していく部分だという気がします。
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──キャラクターを作る時に現実の人間をモデルにすることはありますか。
花田 ありますが、その場合もアニメのフィルターを結構通してしまいますね。アニメのお客さん、特に男性は保守的な方が多いので、みんなが知っているアニメキャラの範囲内から外れないようにということは常に意識しています。TVアニメって、今この瞬間が楽しければいいものだと思っているので、まずお客さんが見やすいだろうなというところを取るようにしてますね。頑張って新しいものにしようとする志は全然高くない。自分としては、アニメファンが楽しいと思えるようなエンターテインメントなTVアニメを頑張って沢山書いてアニメ業界回してるから、そのお金で誰か世界を変えるような新しいアニメを作って見せてくれよー、っていつも思ってます(笑)。
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──花田さんのキャラクターはみんな親しみやすいと感じるのですが、そういうキャラはどうやって作っているのですか。
花田 なんだろう(笑)。あるとしたら、人間って基本的にはみんな小っちゃいんだよねと思って作っているところでしょうか。偉そうにしている奴も中身は小っちゃいんじゃないのと思って書いているので、僕の書くキャラクターには本当の偉人っていないんです。だから時々、何でキャラクターをみんな腹黒のポンコツ人間にするんだと怒られることもあります(笑)。
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──花田さんは京都アニメーションの作品も幾つか手掛けられていますが、その場合、京アニの得意とする日常的な作画を意識して脚本の書き方を変えることはありますか。
花田 京都(アニメーション)さんの場合はあります。京都さんは普通の作品だとこんなに長く同じシーンが続いたら飽きるよなというところでも、画の力で1シーン持たせることができると思っているので、それで台詞の方も途中で切らずにずっと続けることはあります。例えば喧嘩で言い合いするところも、長台詞で書くとコンテさんが苦労されることがあるので、普通は場所を変えてみたり、印象的な台詞だけ残してコンパクトにしてしまったりするのですが、京都さんだとそのまま長回しでも十分観られるシーンになるんです。実写で、役者さんの演技が乗っかるから止まっている画でも迫力十分みたいなことは当たり前のようにあるのですが、それと同じことを京都さんはアニメの動きでやってしまう。それだけで普通のアニメとは違う映像にもなるわけで、それは活かしたいなというふうには考えます。
──実際にどういうシーンで長台詞を書いているのですか。
花田 『響け!ユーフォニアム』(2015-)のあすか先輩に食ってかかるシーンなんかは結構長いシーンになっていますが、そこは当初から意図していたもので、特に違和感なく観られるものになっていると思います。一方で、『中二』(『中二病でも恋がしたい!』、2012-18)なんかは、当初からそういう作品にしようということもあって、意外とリアリティーな動きや世界にはこだわらない方に振りました。
他にも、日常芝居ということで言うと、『ユーフォニアム』では楽器の練習をしながら喋るところとか、チューバをちょっと吹いて、でマウスピースから口を離してちょっと喋るなんて芝居も、普通のスタジオだったらあまりの大変さに「無理です」となってしまうのですが、京都さんならと思ってあえてト書きを入れたりはしますね。〝クリームが挟んであるクッキーを剥がして、クリームの部分だけ食べる〟とか、普通のスタジオだと書いたところで無視されるようなト書きも、京都さんは状況に応じて画にしてくれたりしますし、そういう映像があるだけで(ストーリーが)よくある話だったとしても、作品として他のスタジオとかには出せない新鮮さが出ますしね。
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花田 それは感じています。例えば映像は編集でテンポをどうするかということを判断する人が多いですよね。新海(誠)さんの映画を観ていてもそこを徹底的にやっていて、音楽が流れるシーンなんか、気持ち良さをドンと出すためにそれこそ一コマ一コマぐらいまでギリギリ詰めて音と映像の流れを完全にシンクロさせていますよね。一般の人も動画編集を行う時代になり、普通の人もその編集によってシンクロするカタルシスを感じることが多くなったので、ああいうものが非常に効果的になったんだと思うんですけど、それを先んじて捉えてる感覚はすごいなと思います。