・周囲とのコミュニケーションが必要以上に個人を拘束しているため、自分がしたいことではなく、みんながしたいことを自分もしたい、と思い込むようになっている。
引用ジャングルは同名のTumblrページからインポートしています
最新の知見を知るサイト
-
-
・特に最近では、ネットで持ちもの自慢をしたり、美味しいものを食べた、素晴らしい場所へ自分は行った、という証拠写真をアップして、周囲のみんなに見てもらう、という趣味が日本中で流行っているようである。
・おそらく、みんなが自分を見ている、自分は注目を集めている、というイメージで自己満足しているのだと思われるが、それだけの妄想ができるのなら、最初からすべて空想して満足すれば、お金も時間もかける必要がない。
-
・「自分は語彙力や表現力がなさ過ぎる」と嘆く人に足りないのは、多くの場合、国語力や作文能力ではなく、「考える」習慣と考える時間そのもののほうです。
-
・1万人にひとりしか理解してくれないだろうと思えるような、極端、もしくはユニークな考えを持つ人は、1万人の友人がいても、理解者がひとりしか得られません。
-
・ググれば1秒でわかるようなことを、時間をかけて暗記する必要はまったくなくなりました。スマホを持ち込めば高得点が取れるようなテストには、もはやなんの意味もないのです。
-
・何人もいるのに似たような意見しか出てこない、という同質的な組織の弱さが自覚され、「みんなと同じ」であることが求められる時代から、他者と異なる意見をもつことこそ価値の源泉であると認識される時代に変わってきたのです。
・日本で「意見を表明する」ことを避けたがる人が多いのは、「他者と異なる意見を表明するのは、他者の意見を否定することになる」と考えているからかもしれません。
-
・「人生の一大事」は常に、それが起こる直前まで「自分にはまったく関係のないこと」に見えている。
-
・ネット上のやりとりの多くは、少数の「自分の意見を表明する人」に多数の「反応しかしない人」がリプライやコメントやスタンプを送る、という形で成立しています。
-
・カリスマとは正解を知っている人ではなく、正解のように見える他人の意見にとらわれず、自由に発想・思考し、自分独自の意見をしっかりと確立できる人なのです。
-
・「正解のある問題」に意見はもてない。2+2がいくつかというのは「正解のある問題」です。正解は4で、それ以外はすべて間違い(誤答)です。なので、この問題にたいして「意見」をもつことは誰にもできません。たとえば「2+2は? 私は6だと思う」という人がいた場合、これは意見でしょうか?
・「正しい意見」など存在しないのだから、見も知らぬ誰かを説得し、自分と同じ意見に変更させる必要もありません。
・「意見が違うのは当たり前」「意見には正しいも間違いもない」と理解できていない人は、すぐに「クソリプ」と呼ばれるくだらない=クソのような無価値な返答をしてしまいます。